さがしもの

 近年、捜し物に費やす時間が次第に増えてきた。どんな作業も必ず道具を捜す事から始まる。以前に使ったのがいつだったのか、どこでどのように使ったのか冷静に考えて心当たりの場所を捜すが、簡単に見つかる事は殆どない。

 どうせ見つからないだろうと半ば諦めて捜す事さえある。捜している内に、別にそれがなくても、と代用品を捜し始める。やがてイライラがはじまり、こんな事でむだな時を過ごすわけにはいかぬとばかり、あきらめて他の仕事をはじめたりする。だが、捜し物の事が頭の中をはなれない。

 ハッとひらめいて急いでその場所を捜すけれどやっぱり見つからない。やがて、毎度同じ事を繰り返している自分への嫌悪感でほとほとつかれ果ててしまい、「私の人生はものを捜す事なのか?」と大声で相手構わず不機嫌をぶつけてやりたくさえなる。

 生来整理整頓は大の苦手、ところかまわずちらかしてゆくのがくせで、それでも以前は それぞれの場所は概ね覚えていたのだが、年のせいだろう思い出せない事が次第に多くなってきた。整理の得意な友人にアドバイスを受けると、置く場所を決めておいて、使ったら必ず元の場所に返せば良い、という単純明解な答が返ってきた。

 恥ずかしい話だが、この単純明解な事が現在も出来ないでいる。いつも使ったものはどこかに隠れてしまう。うちの道具たちには足がはえていて勝手にどこかに歩いて行くのだろう。家族に聞いてもだれも動かした記憶がないのだから、神隠しと言うほかはない。それでも時々は、今後は整理整頓に気をつけようなどと、子供のような気分になって深く反省し、机の上くらいは片付けるのだが、三日とは持たない。

 これだけ毎日捜し物をしていれば、捜すのが上手になりそうなものだが、一向にうまくならない。きっと私の脳の回路には、その機能を果たすべき重要なパーツが欠落しているのだろう。


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