クリスマス

 私が幼かった頃、クリスマスには親戚や近所の友人を招いて集会をするのが慣わしだった。牧師役の父が語るクリスマスの話に、皆神妙な顔で聞き入る、「きよしこのよる」を歌って礼拝が終ると、ささやかなパーティーがはじまる。お菓子や果物も頂いて、みんなでゲームに興じた思い出がある。あの頃イエス様に対して抱いた気持ちは、今も変わらず私の心に宿っている。
 父親になり、子供が小学生になった頃、私もまた同様に子供たちの友人を招き、時には音楽仲間たちともクリスマスパーティーを持った。牧師役を演じる自分の姿をもし父が見たらどう思っただろう、と少し気恥ずかしい気もした。子供たちもいつか親となり、同じ様にクリスマスを祝う事だろう。
 クリスマスには必ず演奏されるヘンデルの「メサイア」、数多くのバッハの「教会カンタータ」、神をたたえる喜びに満ち溢れたこれらの芸術作品に接する度に、そのエネルギーに圧倒され、作者の信仰に深く感動させられる。幼い頃から培われたキリストへの思いが創作への大きな力となっているのだろう。 神を思う心は本来誰にも備わっているはずなのだが、現代社会ではあまり省みられる事がない。のみならず子どもたちをとりまく環境は、幼い宗教心を踏みにじる結果となっている場合すらある。幼少期にこうした心を大切に育めば、少なくとも、平然と無神論を名乗る愚を犯さなくて済むと思うのだが..。
 かのガリレオガリレイは「神なき知育は、知恵ある悪魔をつくるなり」と言ったそうだが、四百年たった今も事情は変わっていない。
 物が豊かになり、知識が豊富になっても、心が荒廃していてはなんの益もない。即物的な考えが主流の現代、神を受け入れる心の余裕はないかもしれないが、イエスキリストの誕生を祝うクリスマス、ごちそうとプレゼントに終わらず、神について考える一つの機会になって欲しいものだ。


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