ホピの予言

 アメリカ大陸の先住民、ホピ族の長老は語る、「大地の中のものを掘り起こしてはならない、それはやがて人々を滅亡させるだろう」だが、白人たちがやってきて、彼らは大地に眠るウランの発掘を強いられた。そのウランは、53年前、広島、長崎に投下された原子爆弾の原料となったという。地中に眠るウランは核兵器を生み、予言通り人類の滅亡に大きな意味を持つものとなった。

「ホピの予言」の映画を見たのは11年前、その翌年私はホピ族の人達と出合うことになった。核廃絶と平和を訴える為にホピの若者たちが選んだのは無言のランニングであった。これを名付けて「セイクレッド・ラン(聖なる走り)」と呼ぶ。
 アメリカ大陸を東西(5800キロ)に横断した後に日本に到着したホピたちは、1988年8月7日原爆投下記念日の翌日、広島を出発し、四国に渡り、伊方原発を経由し高松から徳島へ向かった。

 私はこの聖なる走りに参加するために、3ヶ月間の早朝トレーニングを続けた。鋼のような強靱な肉体のホピのインディアンたちと高松から徳島の間、国道11号線を共に走った。一夜開けて早朝、走り出したのはホピの詩人トム・ラプラング、宿泊していた徳島市庄町から小松島港まで、あれよあれよという間に一気に走りきってしまった。カメラを向けた私に両手をあげて、にっこり笑った優しい顔が当時を思い出させてくれる。

 フェリーで和歌山にわたった一行はその後一月の間に北海道の幌延まで、文字通り日本を縦断して、無言で核廃絶を訴えた。

 あれから10年の歳月が流れた。インド、パキスタンの度重なる核実験に世界が震撼した。が、当のお国の人たちは、核実験の快挙に酔いしれている様子。テレビ取材に対し、「日本が核を持っていたなら、広島、長崎に原爆が投下されることはなかっただろう」と自信満々、口々にうそぶくインドの人たちに、無知で傲慢な人間の姿を見た。

 10年前の夏ひたすら走ったホピの人たちの静かな抗議に、私は今頃になって共感を覚えている。きっと今も世界のどこかで、核のない日が来ることを願って彼らは無言で走っているに違いない。たった一日だが、共に走ったホピの「聖なる走り」に大きな意味を、私はいま発見したような気持ちでいる。

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