家族の風景

徳島新聞「阿波圏」1989/10/1

 ずいぶん昔のこと。板野町大寺に住んでいた父は、地元の新しい橋の完成の折り、祖父母、父母、妻、あわせて三世代六人で渡り初めをしたと言っていた。無事平穏を願っての儀式であったらしいが、想像するだにほほえましく思われる。

 戦後、日本の家族構成は大きく変わった。核家族化が進む中、世代の絆は次第に希薄となっている。親から子へと伝えられるべき良き伝統は、三つの世代がともに暮らして初めて可能となる。世代を越えた歴史の中に良くも悪くも家風といったものも生まれてくる。

 二世代がつくる核家族では、メディアを通じて得た知識や、当世流のやりかたが幅を利かせ、どこもかしこもニューファミリー。人生の大先輩であるべき老人はうとんぜられ、家庭内の居場所を失ったかのようだ。「おじいちゃんおばあちゃんを大切に」と唱えながらも、厄介者扱いをする親たち。それを見て育つ子供達の心に、老人を敬う心が育つはずはない。老人は嫌われたくない気持ちから、妙に物わかりのいいおじいちゃんや、孫のご機嫌伺いをするおばあちゃんであろうとする。

 科学技術が急速に発達したからと言って、経済大国になったからと言って、家庭が突然に新しい価値観によって営まれなければならないはずはない。今や日本の家庭は、すでに家庭としての機能を著しく欠いている。多発する暴力、犯罪、多くの原因は家庭内の環境にある。会話の途絶えた家庭、日毎口汚くののしり合う家族、こんな寒々とした風景も珍しいことではなくなっている。

 三つの異なった世代が、それぞれを気遣いつつ一つ屋根の下に住み仲良く暮らす。こんな平凡なことが出来なくなっている。老後の心配をしているわけではない、良き伝統を捨てようとしている日本の家庭を憂えているのである。


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