川竹道夫エッセイ集
徳島新聞「阿波圏」


 七十七才になる母親を連れだって、二人の兄姉たちと二泊三日の旅行に出かけた。
四人で旅行するのは初めてのことだ。普段、宿の手配などは得意でないはずの兄が骨を折ってくれたおかげで、快適な旅が出来た。広島では美術館でゆっくりと名画を鑑賞し、贅沢な旅館に宿を取った。折しも仲秋の名月、庭園にはかがり火が用意され、南の島影から真っ赤な満月が、みるみる登ってくる。「こんなきれいな色、初めて見たよ。」兄が言った。夕方の瀬戸内海の霧と満月の演出する色は、まるで私たちの旅を歓迎してくれているようだ。
 夕食の一時、床にかかった山頭火の俳句が趣を添える。年老いた母がぽつりと言った。「こうしてみんなで旅するんも、姉ちゃんが結婚したとき以来やな。」 当時は父も元気で、五人で京都の結婚式場まで行った。たしか共同汽船で大阪にわたるのに夜行で九時間もかかっただろうか。姉の結婚式用のウェディングドレスの入った、大きな段ボール箱を持っていったのを思い出す。
 思えば三十年以上も前のことであるが、それ以来はじめての親子での旅行だ。
仕事以外で旅に出ることなど、殆どない私も思いっきり旅行気分を味わうことが出来た。「これが最初で最後かもしれないね。」誰とはなしに言った。
それぞれに忙しい仕事の都合をつけての三日間。束の間のタイムスリップだったが、子供たちと、母親との親子水入らずの旅は無事に終わった。
 旅館の仲居さんに「みんな私が生んだ子供たちですよ。」と誇らしげに言った母。心持ち小さくなった母の背中には、終戦直後の物のない時代に三人の子供を育てた苦労と自信が感じられた。


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