川竹道夫エッセイ集
徳島新聞「視点」

フトリンサン

このタイトルをみて、ピンとくる人は何人いるだろう?
昭和30年代、当時の「少年」「おもしろブック」「冒険王」といった、少年向けの月刊誌の広告欄には、毎月怪しげな通販の広告がいくつか載っていた。その中に「フトリンサン」という名前の肥る薬の広告があった。「肥る!」と単刀直入な言葉と、筋肉りゅうりゅうの健康な肉体を描いたその広告はいつも私の目を引きつけた。
 当時は、いわゆる肥満児のような体型の子供は少なく、殆どの子供がガリガリとはいわないまでもスリムな体をしていた。年中お腹をすかしていた子供や毎日の食事に事欠いた子供達も多くいたのだろう。栄養が行き届かないせいか、おできや皮膚病やいろんな病気を持った子供達もいた。ご飯を沢山食べて元気いっぱいに肥ることは当時の子供達にとっては贅沢な夢であったに違いない。広告に描かれた筋肉りゅうりゅうの健康な肉体はそうした少年達にはあこがれであったのだ。
 幼い頃、病弱というのではないが、やせ細り身長も一番小さかった私には、何とかして肥りたいという願望があった。密かに広告主にハガキを書き「フトリンサン」のサンプルを請求したこともあったが、親父に見つかり、しっかり飯を食えと説教をくらったものだ。
まじめな顔をして、母親に買ってくれとせがんだこともある。もちろん買ってくれる事などあろうはずもなく、苦笑するばかりであった。
 健康な子供が親の顔を見れば、「はらへった〜!」というのは昔も今もかわらない。
十分に食べ物がなくて、ひもじい思いをしていた子供達も多かった遠い時代のことだ。
もちろんダイエットという言葉もないし、やせたいという人にお目にかかる事もあまりなかった。飽食の時代とも揶揄されるこの時代、やせる薬は良く売れるらしいが、肥る薬を求める人はまずいないだろう。
 遠い昔の肥ることに対するあこがれは、すっかりお腹の出た今の私には無縁のものだが、少年時代私の心をとらえた「フトリンサン」という滑稽な名前を、ときおり思い出してはフッとおかしくなる。美食、大食に運動不足、生活習慣病に悩む子供達や、エステに通い、ダイエットに専念する若者達は、きっと「フトリンサン」を一笑する事だろうが、昔はこんな薬があったと笑い話にでもなればと思うのである。


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