川竹道夫エッセイ集
徳島新聞「視点」

庶民の論理

 バブル経済の終焉とともに始まった不景気の嵐は10年たった今も相変わらずだ。確か5年前に「景気は底をついた」と聞いたが、以後下げ止まりとか、上昇気配とか、曖昧な表現を繰り返す経済評論家の言葉にも飽きてきた。果たして景気は悪いのか、良いのか、悪くなっていたのが、良くなろうとしているのか、経済にうとい私にはトンとわからない。
 つい最近、大手百貨店のトップであった人物はバブル崩壊を経営悪化の張本人とうそぶいていたが、それを言うなら、自身がバブル経済の真っ直中で、マネーゲームに狂奔していた過ちを恥じるべきだろう。結局バブルでいい思いをした者たちが、そのつけをいま支払わされているのに過ぎないのだから。
 不景気とはいえ、我々庶民はバブル絶頂の好景気の時に比較しても、今の方が何かにつけ物質的には贅沢に快適に暮らしているように思う。無責任な言い方だが銀行や保険会社の経営が破綻し、大手百貨店が倒産しても、当事者でない限り我々庶民にはそう大きな痛手とはならないのだ。確かに数年前より財布の紐は堅くなったが、日常必需品を買うのに困っているわけではない、欲しいものがないのだ。バブル景気が終わり冷静に考えたら、不要な物は買わなくても暮らせることに気がつくようになっただけの事である。
 個人消費の落ち込みが経済成長を停滞させているという説もあるが、それは賢明な庶民に対するいわれのない言いがかりだ。企業の論理で考えると確かに景気は悪いし、大手企業の倒産などが、構造的な不景気の原因とはなっていると思う。しかし、経済的な成長のみが景気回復の手段だと言うのなら、景気の回復は難しいだろう。もしありうるとすれば、IT技術への過度の期待が投資をあおり、再びバブル経済を形成するという図式だ。そのために政府はIT技術の推進に躍起になっているというのも、あながち見当はずれではないかもしれない。本来景気というものは個人の暮らし向きに対する、感覚的な評価であろうとおもう。世界一物価が高く、高給取りの日本人。休暇に海外旅行を楽しむ多くの日本人をみて、外国の人たちは果たして日本の景気がわるいと思うだろうか?
 庶民の論理によると、より冷静に物事を判断できるこの世の中、不景気といわれようが、なかなか住みやすいものではないのだろうか。


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