アメフラシ

 30センチもあろうかという大きな黒い影が海岸線の海底をゆったりと移動している。高さ20メートルの橋の上から見た黒い影は、持ちあわせた双眼鏡でみると、りっぱなアメフラシ。おおかた卵を産み付ける場所を探しているのだろう。一見のどかな夏の橘湾の海岸風景だが、対岸の小勝島ではとんでもないことが起きていた。

 8月初旬、私は海南を訪れる際に、小勝島の現在の姿を見たくて立ち寄った。道路沿いに、工事事務所の宿舎などが建ち並ぶ橘町を小勝島に向かう。視野が開けると、真っ青な夏空に、青い海と緑の小勝島が目に入るはずであったが、立ちはだかった巨大な建造物の固まりに、島の殆どは見えなくなっていた。現在の姿から、数年前「阿波の松島」と呼ばれていたことを、だれが想像できるだろう。

 予期していた事とはいえ、変わり果てた景色を目の当たりにし、ただ無念さがこみ上げて来た。以前、石炭火力発電所が着工される前に、美しい小勝島を見るために立ち寄ったことがあった。当時は石炭火力発電所建設反対の張り紙やビラもよく目についたし、新聞紙上でも、その是非を問う意見がよく交わされていた。地球の環境保護、温暖化防止に全世界が立ち上がらなくてはならない現在のことである。この小勝島の現状を見たならば、誰しもこれらの建造物が地球環境を破壊し、温めるための一つの巨大な装置である事に疑問を持たないだろう。

 橘町から小勝島に渡された橋の上に立った私は、左から右へ180度体を回転させながら、周囲の風景をカメラに収めため息をついた。時折出入りする工事用車のエンジン音が不愉快さをさらにつのらせた。
 50年前、ヘンリーミラーは著作「冷房装置の悪夢」の中で、アメリカという巨大文明を一つの冷房装置になぞらえ、そこに生きる人間を描くことによってするどく文明批判をした。今、私の目の前にあるものは、疑う余地もなく巨大な地球用暖房装置であり、私たちはこれからまさに悪夢を見ようとしているのだ。

 アメフラシはそんなことを知ってか知らずか、あいかわらず海岸線を移動している。それとも、幾分か汚れて暖かくなった海水に、悪夢を見てさまよっているのだろうか。

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