カラオケ

 もう随分前の事だが、音楽家たちによる抗議の様子が某新聞に掲載された事がある。カラオケの登場で、職場を失う事を危惧しての事だ。あれから二十年はたっただろうか。低級、非音楽的、の批判を浴びながらも、今やカラオケは世界の共通語とも言える程に普及してしまった。夜の繁華街でカラオケのない店をさがすのは骨がおれる。小さなスナックにも、立派なカラオケシステムが鎮座している。カラオケを好まない人たちにとっては、やっかいな時代になったものだ。
 概して楽器を演奏する人はあまり歌をうたわない。音楽的エネルギーが演奏に注がれるからだろう。カラオケもあまり好んでは歌わない。かく言う私もカラオケは歌わない部類の人間だった。歌がきらいなわけではないが、知っている曲が無いので、なかなか馴染めなかったのだ。ところが数年前、ふとした事から歌ってみようという気になった。いざ歌おうとすると何を歌ってよいのやら。歌いたい曲はカラオケには入っていない。ままよと、聞き覚えたばかりのはやり歌を歌ってみると、酒のいきおい、夜の雰囲気も手伝って、結構上手に歌えた気分になった。拍手などもらったものだから、すっかり有頂天。以後、巷で歌われている歌に興味がわくようになった。歌わないと聞かないし、聞かない人は歌えないのだ。歌っているうちに、カラオケの好きな人の気持ちが分かってきた。マイクをもった人たちの顔はかがやいている。こんな顔で毎日仕事が出来たら世の中幸せだな、とつくづく思う。反面、歌唱中は頭脳の知的活動は殆ど停止してるかのようにも思える。でも人生こういう時間も必要な事ではないかと、自分を納得させている。
 かくして、いつしか押しも押されもせぬカラオケファンになってしまった私だが、家族の冷やかな視線にも屈せず、ストレス発散の大義名分の元に、今宵もマイク片手に歌っている。



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