中高一貫教育

 中央教育審議会の二次答申の発表後、中高一貫教育校の設置について賛成、反対いろいろ意見が飛び交っているようであるが、高校受験の為の限りなく無駄に近い勉強を逃れて、少しでもゆとりのある教育が実現出来るのであれば、この制度は歓迎されるべきだろう。しかし、特定の学校だけに中高一貫教育制度が取り入れられるならば、一部に懸念されているように、確かに受験戦争を低年齢化させることにもなりかねないし、エリート教育を促進する結果につながらないともいえない。
 私学の世界では創設者の高い教育理念を掲げ、古くから一貫教育が実践される場を提供してきたはずである。ところが、公的な教育機関にはこうした私学の教育理念のような崇高な理想といったものが希薄である。それが原因ではないにせよ、先送りの教育、つまり小学校は中学校に、中学校は高校に、高校は大学に最終責任を押しつけて、いずれどこかが一人前にしてくれるだろうというやり方がまかり通っている。こんな事では永遠に理想の教育など出来ようはずはない。教育の理想というものを学校や、現場の先生方がどのように考え、実践しておられるのかも気になる。果たして先生方は子どもたちの将来像とかを描いているのだろうか? 親は真の意味で子どもの生き方を見据えてやっているのだろうか?とりあえず、上位の優秀な学校にゆくことが、最高命題となっている現状では、大きな夢を持って、自分の将来を考えることなど不可能に近い。子どもが大人になるにはそれ相応の時間を必要とする、一見無駄に見えるような時間を通して子どもは貴重なものを身につける。この貴重な無駄な時間を世の親たちは、塾や習い事で埋めてしまおうとする。
 教育の目的が、個性ある人間性の陶冶にあるものとすれば、六年間の一貫教育は、従来の教育制度に比べて、幾分か理想的な方向性を与えてくれるのではないだろうか。
 中高一貫教育をめざすには、単なる制度作りではなんの効果もない。六年間を通じて個を育てるという教育の高い理想があってしかるべきである。ひたすら受験を目指してきた、旧来の教育の在り方も問われなければならない。個性尊重、ゆとりある教育、あまりにかけ離れた現状の中で、高い教育理念にささえられた中高一貫教育、問題は多いが、どん詰まりの教育界に、少しは波紋を投げかけてくれることだろう。



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